冬至占
一年のうち最も昼が短くなる冬至。冬至とは「日短きこと至る(きわまる)」を意味する。古代人たちは、冬至の前後になると太陽の力が弱まり、人間の魂も一時的に仮死する。すなわち、陰極まれば万物みな衰えて死に、太陽の帰り来る「一陽来復」によって再びよみがえると考えた。
こうした原始的な信仰は、日本に限らず世界の多くの民族に共通したもの。一旦死にかけた太陽の復活を願って、「タマフリ」と称する鎮魂の行事が世界各地で行なわれるようになった。たとえば、炉の火を新しく替えることによって太陽を復活させ、人もまたこれで新たな生命力を得ようとした。現代に伝わっている「冬至風呂」もそうした民俗風習の一つ。再生した火で風呂を沸かし、新しい力を得た湯に柚子を入れ、その精によって、衰えた体に新たな生命の復活を念じた。
「冬至粥」(とうじがゆ)という習俗も、そのルーツは古代の最も大切な行事、新穀感謝の祭に由来している。古代人は、稲の穂を摘むことによって穀霊が一旦死ぬと考えた。そこで一家の主婦は田から稲や粟(あわ)の初穂を抜いて家に持ち帰ると、それを寝具にくるんで添い寝し、新しく生まれてくる稲魂(いなだま)のすこやかな生育を祈った。ついで、その新穀を臼(うす)に入れ、復活の唄を歌いながら杵(きね)で搗く。得られた白米を、火を新しくしたカマドで炊きあげる。出来た固粥(かたがゆ。今の普通のご飯)と、同じ米で醸(かも)した神酒(ミキ)を供え、それらを神と共に飲んだり食べたりすることが祭そのものであった。
これを新(にいなへ、にへ)と呼び、復活した新穀を自らの体内に入れることによって、新たな生命(いのち)を得ると信じた。また稲を「トシ」、年も歳も「トシ」と呼んで、神人共食による新しい年の活力のよみがえりを期待したのである。
このきわめて古い伝統をもつ民族の風習は、3世紀頃、王権の高まりと共に公的な行事として次第に儀式化されていった。
そういうわけで、12月22日夜明け前に起床。朝の支度を終え、
「来年の心がまえを教えてください」と祈りながら。
震為雷 四爻 を得た。
震は、亨る。来たるとき虩々たり。笑言唖々たり。
震は百里を驚かす。七鬯を喪わず。
九四は、震いて遂に泥む。
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泥に沈む~💦💦はまり込んで自由に動けない・・・
分かります!今すでに実感しています。
来年は粛々と落ち着いて、どんなことにも動じないように、
一喜一憂せずに焦らずに過ごしたいとすごく思う。
易経を学んでまだ浅い。
出した卦の読み解きがとても難しい。
書籍やネットで調べてもしっくりこない。
でた卦の意味だけじゃなく、易を読むためのさまざまな細かいことや関連性などの
読み解き方を学びたい。
1年ほどは先生について学んだけど、ちょっとしっくりこなかった。
教えて頂く先生との相性ってあるような気がする。
易経の学びはすこしづつでも生涯継続していきたい。
これから一年かけて
震為雷 を読み解いて学んでいこう。